2007年6月24日日曜日

腹の立つこと!Ⅰ 昭和7年生まれ男性の思う靖国、戦争責任問題

(この原稿は2005.10.26プログに書き込んだものをそのまま再書き込みしたものです)

靖国問題、更にその元にある戦争責任問題について、意見がありながらも、余り表現してこなかったことを、今、反省しています。

昭和7年生まれ、まさに激動の時代の真っ只中に育って来たのです、もう少し早く生まれてきていたら、恐らく命は無かったのだろうと思っています。

”日本は神の国である、神風が吹いてでも、負けない、必ず勝つーー天皇の命を受け、国のために命を捧奉げ、靖国神社に祭られるのは、これ男子の本懐である!”

と本気で思っている軍国少年でした。 今思えは小学校で既に、オーム真理教で有名になった、いわゆるマインドコントロール(=洗脳)を受けてそうなったのです。(今思うと、小学生だから割と簡単にマインドコントロールを受けたのだと思いますーーということは、教育の基本のところで国家統制を強めると、いったん間違った方向に向くと大変なことになると言うことが分かります)

私にとって靖国神社は皇国、軍国主義の象徴に思ってきましたーー事実と違うという人が居ても、徹底的に利用され、またそれを許して来たと言うより、それを前面に押し出し、戦争賛美の一面を担っていたのではないかと思っています。

しかし、最大の問題は、日本が戦争の責任を誰も取っていない、本当の意味では、取らせていないと言うことです。

最近、唯一の戦争裁判ーー東京裁判すら、不当な裁判であり、従うことは無いという事が言われだしたのです。

そして、その結果、その戦争の責任者と言われる人達を、小泉首相の言う”心ならずも国のために命を捧げた人”を祭っている、靖国神社に祭ったのです。

このことについては、多くの問題を含んでいます。

進攻された諸国のみならず、日本の国民のなかにすら、言語道断と思っている方も多いと思います。

私は、その一人です。

特に戦争で理不尽な被害を受けた方々はどう思っているか、しかし、年とともに、その思いを持っている人達は高年齢になり、どんどん亡くなって少なくなって来ているのです。 当然、国民の声とか、アンケートなどには反映してこなくなって来ていると思います。

”心ならずも国のために命を捧げた”方々を祭ること、顕彰することには全く問題は無く、むしろ、現在の繁栄を享受している国民にその思いが不足なのでないかと思っています。

終戦、混乱しながらーー墨で塗りつぶしたり、新聞のような紙に印刷したものを折って切って教科書にして勉強を始めましたーー民主主義教育が始まりました。

軍国少年は混乱しながら、こう考えましたーー沢山の犠牲はでたが、戦争に負けて、やっと皇国、軍国主義から抜け出せ、民主主義を手に出来たと!

戦争中の精神主義の反動もあってか、今度は科学少年となり、科学一辺倒で高度成長時代に突入しました。

ゼロ戦の性能、活躍の本にめぐり会い、その性能と戦記から、戦争の推移、内容と結果に興味を持ち、沢山の戦記の類を読みましたーーはらわたの煮えくり返るほどの、腹の立つ思いをしました。

そ の結果、うっすらと思っていたこと、やっぱり日本は戦争に負けてよかったのだとーーあのまま勝っていたら、僕達はどうなった?日本はどうなったのだろう とーー酷い戦争を立案して、実際に実行してきたのです、人間性の無視ーー人の命をなんとも思わないーー今思えば、肉弾三勇士あたりから既に始まっていたの だと思いますがーー特殊潜航艇に始まり、神風特攻隊、回天ーーしまいにはふんどし一丁で頭に爆雷をつけ体当たりーー作戦は失敗しても責任はとらないで、どん どんえらくなる、兵站(今で言うロディスティック)を考えない進攻ーー現場の指揮者、兵隊はどんな思いをしたか、餓死した人が如何に多かったかーー相手側 の戦記を読んでも、最初は勇猛果敢と思っても、何故負けるのを分かっていながら、命を捨てるように向かってくるのか(無駄死に)?と不思議に思うように なってきたというーー現場の指揮者はだめと上申しても、気合がたりないと聞き入れてもらえない、どんな思いをして戦ったか?

そして、誰も責任を取らないーー今の国政、天下り、無駄使いと同じーー無責任が大手を振ってきた、戦争の起きるのには、いろいろな問題があったとも言われるが、あんな酷い中身の戦争を土壇場まで続け、責任を取らない、取らせない。

そして、A級戦犯の靖国合祀ーーそして、首相の参拝ーー自分が被害者ならどう思うのだろうかと考えないのか、国民の被害者はどう考えているのか、そこに祀らないでと訴える人も居るーーこの現状を目の当たりに見て、苦々しく思います。

昭和7年生まれの私から見て、少なくとも、首相の参拝は避けてほしいーー別の顕彰場所を作るべきと思いますーー戦犯の分祀が出来ないなら、尚更のことと思います。

小泉首相が国会答弁で言ったーーそれをテレビで見て腹が立ったーーいわく

「”罪を憎んで人を憎まず”相手がそういっているではないですか!」

こ れは、すくなくとも、進攻した側の言うべき言葉ではない、進攻された側が言える言葉ではないかーー私は、こう聞いていますーー蒋介石氏が”罪を憎んで人を 憎まず”と言って、無傷で引き上げさせたと(それにひきかえ、ソ連は何をやったか、引き上げの苦難、シベリヤ抑留???)

心ならずも、国のために命を捧げた方達に哀悼、感謝、不戦の誓いを捧げるのは、当たり前で、賛成です。

今となっては、戦争に関係のあった人、関係の無い人、国籍、宗派にかかわらず、誰もが、素直に祈れるところを作るべきだと思います。